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 河野理事長はじめ穂真書道会、義龍會、里神楽萩原正義社中、エイトスターの各代表はツアー2日目の27日夕、山東会堂で謝玉堂市長と会見しました。

 済南市は東京の半分以下の年間降水量と雨が少ない地ですが、この日は早朝から雨が落ち、また会見の夕刻にも雷鳴が轟き、地元の人は「日本からの賓客が恵みの雨をもたらしてくれた」と語っていました。

 謝市長は、済南市の経済発展に力を入れており、各代表と名刺交換、握手を交わした後、「文化交流のみならず経済交流を促進しましょう」と挨拶しました。
  これに対して河野理事長は「今まで何回となく済南市に来ておりますが、今回市長にお会いできたので初めて訪れた気がします」と述べました。「日中友好とよく言われますが、私は漢字を使う両国は兄弟だと思っています。友達は別れることはあっても兄弟は別れません。いつまでも仲良くしていただきたい」と述べました。

 この会見には、地元テレビ・新聞の記者、カメラマンが駆けつけ一部始終を取材していました。

 市長との会見の後、パトカー先導のもと市内ソフィテルホテルへ移動。大宴会場の各テーブルには、日本からの訪問団に地元済南市の有識者・文化人らが数人ずつ配され、正面のメーン・テーブルには、謝市長、河野理事長を中心に各訪問団の代表が席に着きました。

 謝市長は歓迎の挨拶とともに、乾杯の音頭。河野理事長は「市長さんのすばらしい話を聞いているうちにとかく物を売ったり買ったりの関係になりがちですが、取引をする前に日本の人と済南の人の心と心が通い合うようになりたい。日本では挨拶するとき目と目を見て頭を下げますが、それは心を通わせるためです」と述べました。

 その後市長から河野理事長には、孔子を描いた軸が、河野理事長から市長には理事長自らが筆をとった絵『双童 遊ぶ母の胎内』の軸を交換しました。

  河野理事長は絵について「日本では子供はコウノトリが運んでくるという話がありますが、日中友好を望む子がこれからたくさん生まれてくれるようにとの願いが込められています」と説明しました(写真左下)

 エンターテインメントでは、済南市の雑技団が目を見張るほどすばらしい曲芸を披露。日本からは里神楽『祝いの舞』が披露されました。能面とおかめ、ひょっとこのコントラストがとりもつ舞に会場は、拍手の渦に包まれました。また、中国人歌手による力強い日本の歌が会場を魅了しました。

ビジネス交流にも花が咲く

 ツアー3日目の28日午前、NPO会員および済南市企業代表者によるビジネス交流会がソフィテルホテルで開かれました。

 済南市委の李華理副書記が、「済南市は山東省の省都として、政治・経済・文化・科学技術・教育の地域的中心であります。我が市に投資してくることを熱烈歓迎します」と開会の辞を述べました。

 また、交流会に先立ち、済南市貿易経済合作局とNPO地球文化交流会との間で「経済文化交流合作(友好)協定書」が交わされたほか、河野理事長には、合作局の孟祥桓局長から「済南市友好使者」としての認証書が贈られました。

 挨拶に立った河野理事長は、「ここにお集まりの皆様は利益を得ることを目的としてここに参集していると思いますが、一度地球文化交流会館を訪ねて、ひととき金儲けを忘れて、人間同士の結びつきを重ねれば、欲望に隠れて見えなかった落とし穴が必ず見つかるはずです。利益を追求しないという一番欲深い私のお話を聞いてくださった皆様に感謝します」と述べました。

 その後、NPO会員企業15社の経営者と地元、済南市の会社経営者らは、お互い名刺交換をし、各テーブルに配された通訳を介して今後の事業提携などについて和やかな話題に花が咲きました。