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 続いて、「日中文化交流会2002」以来参加をいただいている中國武術義龍會の廣瀬義龍代表師範、鈴木智久主席師範による少林、形意、太極の各拳法の演武が披露されました。時にしなやかに時に俊敏に空を切る演武に息を飲む場面も。演武を終えて河野理事長は「本当のところ何をやっているのか? 中国の易経では全てのものは太極から生まれる、といいます。水の流れに風が入りあらゆるものが生まれる。風と水、そして龍神の舞を表わしている」と解説を加えました。
  また、自衛隊や警察の逮捕術の指導なども行っているという総合格闘技、日本拳法のメンバーが登壇。防具に身を固めた出で立ちで、面、胴、寝技の組み手を披露しました。
  井上陽介氏がピアノ演奏、リストの「愛の夢第3番」の甘いメロディーが会場にしみわった。また、美剣体道でお馴染みの河野容雄氏が、この日はギター片手に登場。1960年代のフランスの五月革命を歌った「美しき五月の晴れ」をギター演奏とともに歌い上げました。
  最後に河野理事長が範主を務める美剣体道の演武が行われ、河野理事長は「世の中、あれもやりたい、これもやりたいと思ってもいろいろな規制などがあって思うようにはいかない。そういった中で、私はこれをやります、と最後までやり通せたら花丸の人生、できなかったら罰点」と語り、美剣体道の目指すところも「人が来ようが槍が来ようがやるところをやる、行きたいところにいくのが体の道」と軽やかな体さばきで、攻め役の河野容雄師範や、坂本東生師範代が振り下ろしてくる竹刀や手刀の技を次々と交わしていました。
  最後に河野理事長が、ハーモニカを披露、郷愁を誘うの音色で会を締めくくりました。
自己PRタイムで自己主張」
  「文化交流は自己主張から」という河野理事長の提案を受けて、この日、出席者らの「自己PRタイム」の時間が設けられ、まず、八千メートル級14座のうち6座無酸素登頂を果たしている世界的アルピニスト、小西浩文さんが壇上に立ちました。小西さんは十年前、エベレスト登頂を目指した際、山頂の小石をもってきてほしい、という理事長の依頼を受けたが、山頂を目前に雪崩に遭遇、九死に一生を得たエピソードなどを明かしました。
  アメリカ在住の関口さんは、インディアンと満月祭などを一緒に行うなどの交流を重ねているという。日本人とルーツを同じくするインディアンは精神を大切にする、これまでインディアンを見下してきた白人の見る目が少しずつではあるがかわってきたなどと報告しました。
  埼玉県内で割烹旅館を営む八木忠太郎さんは、旅館の庭を一目見た理事長の助言で半信半疑ながらも受け入れて模様替えしてみると見違えるように客足が増えた、と理事長への感謝の思いをにじませました。
  廣瀬義龍代表師範は、「武術は平和を求める手段。文化交流とは水と油ではなく相通ずるものがある。地球文化交流会の五年、十年後が楽しみ、期待しています」と語る。
  佐渡で刀匠を営む新保基平、義弘親子が参加。この日、会場に展示した、刃先が三角形の槍の制作の苦労を語りました。刃先に向って細くなるにつれて反ってしまったり、ねじれてしまう。理事長のアドバイスを受けてできあがった二振りのうちの一本が展示されましたが、この間三年の歳月を要したと言います。
  また会場には、新保さんの槍「鍜刀」とともに、白拍子の舞でお馴染みの西山ちはるさん、花岡氣神子さんの絵が理事長の絵とともに展示されました。